くろまつないブナの森診療所 寺田豊所長とstudio-L 山崎亮対談
小さな町が一丸となって健康になるために何ができるか?
地域医療の未来について寺田先生が考えること
- 2016/6/28
- ワークショップレポート
- 1回目気象関係の専門家から医師に。共通点は「健康になるということ」
- 2回目地域をリサーチし、必要としていることを知る
- 3回目全国から医師が集まる、地域医療が学べる診療所
- 4回目高齢者の「できる」という力を社会に役立てる
- 5回目大切なのは、病気になる前にそれを防ぐ医療
第1回 気象関係の専門家から医師に。共通点は「健康になるということ」
北海道黒松内町で仕事をさせていただくことになって、寺田先生とお会いして、僕は非常にうれしかったんです。日本医療の福祉や介護はこれから変わらなきゃいけないという時代に突入している。僕自身、医療現場での仕事も増えたこともあり、2年ぐらい前から福祉について勉強をし始めました。
そうなんですね。
黒松内で寺田先生と1時間ほど話をさせていただいて、これからの医療についてものすく考えておられて、しかも数々の取り組みをすでに実践されていた。「黒松内町にすごい人がいる!」って、帰りの飛行機の中でもずっと興奮が収まらなかったんです。そんな僕がワクワクしたことも含めて、いろんな人に寺田先生の考えを知っていただきたいと、今日はなかば無理矢理、お時間を作っていただきました。なにとぞよろしくお願いいたします。
はい、ありがとうございます。
最初はお医者さんになるつもりはなかったそうですね?
僕は大阪生まれなんですが、大阪というのは公害がすごかったんです。青い空を見たことなくて、北海道に憧れてやってきました。北海道大学を卒業して、医師になる前は気象協会というところに勤めました。
青い空が見たかったからですか?
そうです。当時、空を飛んで光化学スモッグを調査している人が気象協会にいた。それを聞いて感動して。
なるほど。
小学生の時、朝礼になるとバタバタと子供たちが倒れていったんですよね。すると校庭に赤い旗が立つのですが、それが立つと運動ができないんです。
外に出ちゃダメなんですか?
僕はテニス部だったんですけど、そのテニスができなかった。晴れた天気のよい日は、光化学スモッグ警報が出るので外に出られないんです。体育は体育館でやるしかなくて、卓球がめちゃくちゃ上手くなりました。大阪市としては市民の健康を守ろうといろいろな対策を練るわけです。
どんな対策でしたか?
印象的だったのが、難波の地下街ですね。人工の木を植えて、鳥の声をテープレコーダーで流していた。これってちょっと違うんじゃないかなと、子供心に思いました。そういう経験もあって、自然がいっぱいある北海道に憧れていました。特に黒松内町の自然は、日本一健康な街にふさわしいと思っています。
北海道って、光化学スモッグはないんですか?
ないんじゃないですか。
僕も大阪出身だから、全国的にあの時代はそういうものだと思っていますが、北海道のその世代の人たち、40代なかばの人たちはあの赤い旗を見ていないんですね。もうそれだけですごいと思う。
ですよね。
光化学スモッグが発生すると、なぜ僕たちは外に出られなかったんですか?
あれは排気ガスに含まれる窒素酸化物、炭化水素が、日光に含まれる紫外線によって光化学反応を起こして変化してしまう。それで喘息になるんです。
そうか。空気を吸っちゃいけなかったんだ。
で、その物質は見えないんです。だから、わからないんですね。それをきれいにする装置を作りたいなって思って、気象協会に就職したんです。
そして、“天気”専門から“元気”専門になった。
そうですね。「天気で健康になる」というのに憧れたのが最初でしたね。
いくつの時に進路変更されたんですか?
35歳ぐらいの時ですかね。
えっ!? 35歳?
気象協会で10年ほど働いて、ある程度、やりたいこともできたので、次は何をしようかと。やっぱり僕は人が好きなので、医療の世界にいきたいと思ったんです。35歳スタートはちょっと遅めかもしれませんけど、そういう人も中にはいますけどね。
なるほど。
回り道だったけれど、そのことには意味があった。気象協会では自然を観察する調査も行っていました。ヘリコプターで山の山頂に行って、そこからスキーをしながら調査をして降りるみたいな。
それ、すごい!
当時、スキー場を作るとなると環境調査をしますので。あとは足跡調査とかもね。
足跡調査?
たぬきがいるとか、きつねがいるとか。たぬきが歩くと、ちょっとお腹を擦るんですよね。だからこの足跡はたぬきだとかね。
そういう話をしている寺田先生ってすごくうれしそうですね。僕さっき、これからの医療は変わらなきゃいけない、という話をしましたけど、全国で「医療を新しい方向にもっていこう」とされている方がいて、僕の偏見かもしれないですが、そういうことに積極的に取組んでいる方は元々、お医者さんじゃなかった人が多いような気がします。
あぁ、そうかもしれないですね。
夕張の(夕張市立診療所で院長を務めた)森田洋之先生は、病院が減ったら健康な人が多くなったという論文を書いている方ですが、元々、一橋大学で経済学を学ばれていました。
アメリカでは一度、他の大学を卒業してから医学部に行きますものね。
そうそう、メディカルスクール。他の学科で4年勉強して、医学部で4年。合計8年間です。コミュニケーション能力や個性をもった医師が生まれるという意味で、日本に導入しても良いのでは?という人もいますが、8年は長すぎるという意見もあったりして。